高島市の重要文化的景観
文化的景観とは
平成17年(2005)、文化財保護法の改正により新しく誕生した文化財で、自然と人の暮らしが作り上げてきた文化的な風景を指します。保護する対象は単に形のある歴史資産だけでなく、その風景を形成する人々の生活そのものを含んでいます。そのうちとくに重要なものを「重要文化的景観」として選定し、今後はこれまでの形を変えずに保存するという文化財とは違い、地域文化財として、それぞれの地域の社会環境の変化に応じて保存していくという動態保存が目指されています。
高島市では、市内に数多く残る文化的景観の保存とその地域の活性化を図るため、保存活用調査に取り組み、平成20年(2008)3月に「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」、22年(2010)年8月に「高島市針江・霜降の水辺景観」、27年(2015)1月に「大溝の水辺景観」がそれぞれ国の重要文化的景観に選定されました。 全国的に見て、1つの市に3つの重要文化的景観が存在するのは高島市のみです。
海津・西浜・知内の水辺景観
「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」は、滋賀県内で2番目、市内では1番目の重要文化的景観として選定されました。高島市マキノ町海津・西浜・知内の湖岸一帯および知内川と琵琶湖を含む約1,842ヘクタールが選定地域で、琵琶湖をはじめとする河川や内湖のほか、湖岸の石積みや共同井戸、知内川で続けられている伝統的なヤナ漁など、多様な水文化が現在も存在しています。
日本海から琵琶湖を経て京都・大阪に向かう湖上・陸上交通網の結節点として、古くから多くの人や荷物が行き交った地域で、とくに江戸時代は西近江路(北国海道)の宿場・港町として繁栄した地域で、近代には、石灰産業や蒸気船の港としても発展しました。
豪雪地帯であり、季節風による風や波の影響を強く受ける地域で、このことが家屋に風除けとなる垣や板戸、湖岸には石積みが築かれるなどの独特の生活景観を形成してきた理由の一つとなっています。
宿場町・港町・漁村としての繁栄は、現在も地域で行われている華やかな春まつり(力士祭り)や街道の面影、多数の寺院やお堂とそれに関わる民俗行事などに伝えられています。
重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」では、その景観を構成する重要な要素として、この海津・西浜の石積みのほか、海津漁業協同組合旧倉庫、知内川漁業者組合旧倉庫のほか、江戸時代に建造された町家5軒を定めています。
- 水と石積みのまち ホームページ:http://mizube-ishidumi.com/
- 重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」(高島市ホームページ):http://www.city.takashima.lg.jp/www/contents/1207300859383/index.html
針江・霜降の水辺景観
「高島市針江・霜降の水辺景観」は、市内で2番目の重要文化的景観として選定されました。 高島市新旭町針江の湖岸沿いに残るヨシ群落一帯と、琵琶湖水域を含めた区域ならびに針江・霜降集落、そしてその2つを結ぶ針江大川と、その間に広がる水田地域一帯の、約295.9ヘクタールを選定範囲としています。
◆循環的な水環境利用システム
針江・霜降集落を源流とする湧水は、かつては河川流域の水田を灌漑(かんがい)しながら下流の内湖(ないこ)に流入し、琵琶湖へと流出していました。現在は、両岸の水田から落水をうける排水河川として機能しながら、水は同じように内湖に集まり、最終的に琵琶湖に流出しています。
内湖に集められた排水は、いったん内湖の中に貯蓄され、その間に汚水に含まれる栄養分は内湖の底に沈殿し、さらにヨシ原などによって浄化され、比較的きれいになった上澄みの水だけが琵琶湖へ流れ出す仕組みとなっています。また、内湖の底に堆積した泥は水田造成の客土(きゃくど・かくど)として、水底に生える水草は肥料として利用されることで、それぞれ水田に還元されてきました。
このように集落→河川→水田→内湖→琵琶湖へとつながる水の流れの中で、人間の生活や生業活動と深く関わりを持ちながら、人の手の加わった二次的な自然空間として維持されてきた水辺景観こそ、利用しながら手入れするシステムともいうべき、この地域における文化的景観の全体像です。また湧水を活用したカバタと呼ばれる洗い場・水場を暮らしから分断することなく守り続けてきた地域の人々の生活文化によって、この地域独自の景観が生み出されてきました。
湖岸の湿地帯には、古くから琵琶湖の3大ヨシ帯の一つに数えられている広大なヨシ原・ヤナギ林が広がり、琵琶湖の原風景とも言うべき景観が現在も残されています。ヨシの群生地は、琵琶湖に住む魚類の貴重な産卵場所として、自然環境保全の面からも有意義な景観であることが知られ、ヨシ簀(よしず)やヨシ屋根の材料として古来より地域の貴重な資源・生活の糧として保全されてきました。
中でも「ヨシ刈り」・「ヨシ焼き」(火入れ)はヨシ群落を適切な状態で維持するために不可欠な作業として続けられ、近年は地域コミュニティーによる保全活動によってその良好な景観が維持されています。
地域では、住民が主体となって構成する、針江・霜降の水辺景観まちづくり協議会が、重要文化的景観を活かした町づくりを進めています。
- 針江・霜降水辺景観まちづくり協議会 ホームページ:https://harisshimo.jp/
- 重要文化的景観「高島市針江・霜降の水辺景観」(高島市ホームページ):http://www.city.takashima.lg.jp/www/contents/1441618839350/index.html
大溝の水辺景観
「大溝の水辺景観」は市内で3番目の重要文化的景観として選定されました。旧高島町内にあり、天正6年(1578)、織田信澄(おだ・のぶずみ)によって整備された大溝城跡および城下町、町並みを走る水路、琵琶湖の内湖(ないこ)である乙女ヶ池、乙女ヶ池沿いにある打下(うちおろし)集落の水面利用の伝統的集落景観などを含む、約1384.1ヘクタールを選定範囲としています。
大溝の水辺景観は、中・近世に遡る大溝城とその城下町の空間構造を現在も継承する景観地であり、琵琶湖と内湖の水、あるいは山麓の湧水を巧みに利用して営む人びとの生活や生業によって形成されてきました。
- 近江高島 大溝の水辺さんぽ ホームページ:https://oomizo.shiga.jp/
- 重要文化的景観「大溝の水辺景観」(高島市ホームページ):https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/1/1/1327.html